東京起点
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東京23区が起点の道を延々追いかけるだけのブログ。
ja
2018-02-25T23:58:47+09:00
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国道4号線②昭和通り 日本橋本町3丁目~上野駅前
日本橋本町交差点を曲がると昭和通り江戸橋方面からやってきたアンダーパスと合流。
アンダーから渋滞している事が多く、なかなか合流できない事多し。
 地図
アンダーと合流してすぐに紺屋町交差点。
交差点先に首都高本町ランプがあるが、ここで乗っても3km先の入谷出口までしか行けないのの利...
日本橋本町交差点を曲がると昭和通り江戸橋方面からやってきたアンダーパスと合流。
アンダーから渋滞している事が多く、なかなか合流できない事多し。
地図
アンダーと合流してすぐに紺屋町交差点。
交差点先に首都高本町ランプがあるが、ここで乗っても3km先の入谷出口までしか行けないのの利用価値は低い。
その先の左手に斜めに分岐していく広めの一方通行路がある。
靖国通り新宿方面へのショートカットになり、岩本町交差点をパスできる。
地図
本町ランプを横目に進むと浅草橋方面への一方路とクロスする東松下町交差点に差しかかかる。
靖国通り千葉方面向かうにはここで右折。
地図
靖国との交差点では右折が出来ない。
この先の秋葉原駅辺りでUターンしなければならず、しかも渋滞しやすい。
岩本町交差点では先ほどのショートカット路を使わないと、ここで左折が詰まって手間取る事が多い。
信号も一つ多くなるので覚えておくと吉。
靖国通り過ぎた先は警視庁の取り締まりポイントアリ。左端の第1車線が左折専用レーンになっている。
うっかり直進してその先で待ちかねてる警察官に御用となっている姿を多く見る。
秋葉原の電気街へ行くには素直に左折でOK。
地図
秋葉原駅前。
頭上を総武線の高架が跨ぐ。
秋葉原駅前の飲食店街を過ぎて早稲田塾のあるT字路。
ここを曲がるとヨドバシカメラ関東最大店舗のアキバヨドバシがある。
更にその先、JR高架すぎると電気街中心部。
車で買い物をしに行くと駐車場料金の高さが目につくが、路駐するとすぐさま監視員がシールを張りに来るので厳禁。
地図
秋葉原区域を抜けると台東一丁目交差点で蔵前橋通りとアクセス。
右折レーンが高速下の陰になっていて、渋滞しているときは見落とし注意。
特に四輪は事前に右側に寄ってないと渋滞に挟まれて右折レーンへ行けない事も。
地図
蔵前通りに続いて、次は春日通りと台東四丁目交差点でクロス。
交差点横には東京メトロ日比谷線の仲御徒町駅がある。
なおJRは御徒町、都営は上野御徒町と同一駅設定なのにすべて別名となっていて、さらに少し離れているが東京メトロ銀座線上野広小路駅も接続駅として設定されている
地図
東上野地区を往くR4。
東京都市圏の果て、餃子シティ宇都宮まで104km。
地図
上野駅前までやってきた。
左折は中央通りへ。
上野駅と言えば東北・北陸の玄関口と言うイメージがあったが、上野東京ラインの開通で殆どの列車が途中駅として通り過ぎるのみとなった。
特急列車も常磐系統の『ひたち』『ときわ』、高崎・上越系統の『(スワロー)あかぎ』『草津』が残されているだけ。
上野始発の最後の花形列車であった北海道行き寝台列車『北斗星』『カシオペア』も北海道新幹により消滅してしまった。
そんな中、新たなるJR東日本の旗艦列車たる豪華クルーズ列車『四季島』の専用ホームが13番線ホームに授けられる。
このホームからは嘗て多くの北への特急が発車していったが、それを受け継ぐ形なのだろう。
ただ、『上野発の夜行列車~』とは違った趣きとなるが。
さて多くの鉄道が行き交う上野駅だが、その前の道路もかなり入り組んでいる。
駅前ロータリー、中央通り、浅草通り、更にUターン路もある。
車線も多いが行き先をよく確かめないと行きたいところへ行けない事も。
特にR4と浅草通りの分岐は注意。左2車線がR4、右2車線が浅草通りで途中で気付いても黄色の進路変更禁止線が引かれている。
うっかりイエローカットをすると上野署のお巡りさんが飛んできて青切符を頂くことになる。
地図
上野駅を過ぎると一旦は交通量も落ち着く。
あくまで一旦であるが。
続く]]>
国道4号線(継続中)
2018-02-28T00:29:20+09:00
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国道4号線① 日本橋~日本橋本町3丁目
謂わずと知れた日本最長国道。
東京・埼玉・ちょっとだけ茨城・栃木・福島・宮城・岩手・青森の7県もの自治体を通過。
当ブログの趣旨である「東京23区の都道・国道の走破記録」からして、この道は正にラスボス。
この記事を始める時点(2014年2月)ではR1・R6・R14の3つ国道を手を出し所でようや...
謂わずと知れた日本最長国道。
東京・埼玉・ちょっとだけ茨城・栃木・福島・宮城・岩手・青森の7県もの自治体を通過。
当ブログの趣旨である「東京23区の都道・国道の走破記録」からして、この道は正にラスボス。
この記事を始める時点(2014年2月)ではR1・R6・R14の3つ国道を手を出し所でようやく都内の紹介が終わったレベル。(一応R130は完結してるが)
果たしてこの道の全てを記録するのに何年かかるのか?
と言うか死ぬ前に終わらせる事が出来るのか?
遠い未来、R4を完結させる事が出来たらちょっと僕を褒めて欲しい。
地図
日本の道路の基準点、日本橋。
北に進めばR4、南に進めばR1。
橋の南側親柱に鎮座する狛犬。
日本橋北詰交差点。
三越デパート入り口あり。
地図
日本橋室町地区を往くR4。
三井タワー。
嘗て工事中のビル内に入った事がある。
セメント塵が舞散り息苦しい構内。
そこから現在快適なオフィスで仕事をしているサラリーマンはそんな時があったとは思いもしないだろう。
地図
日本橋室町交差点でR17から分岐していく。
地図
僅かな区間だが江戸通りに乗り入れ
地図
日本橋本町3丁目交差点左折し昭和通りに入り、R6と分岐。
右折はr316。
新橋方面へ向かうなら日本橋経由より俄然、昭和通りで向かった方が早い。
続く]]>
国道4号線(継続中)
2018-01-05T00:28:18+09:00
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都道316号線 昭和通り③ 江戸橋~日本橋本町3丁目
  地図
江戸橋北交差点。
左折すると大手町方面、右折は日本橋浜町方面に。
交差点を過ぎると頭上に首都高上野線が覆いかぶさってくる。
地図
反対車線側に首都高の本町入口。
ただしこの入口からは銀座方面へしか行く事が出来ない。
首都高上野線は分岐部の江戸橋JCTで千葉県方面や東北道・常...
地図
江戸橋北交差点。
左折すると大手町方面、右折は日本橋浜町方面に。
交差点を過ぎると頭上に首都高上野線が覆いかぶさってくる。
地図
反対車線側に首都高の本町入口。
ただしこの入口からは銀座方面へしか行く事が出来ない。
首都高上野線は分岐部の江戸橋JCTで千葉県方面や東北道・常磐道へ向かう向島線と、大宮や
中央道方面に向かう都心環状線内回りと接続しておらず、イマイチ使いづらい。
逆に上野方面に向かっても入谷で途切れて他の高速と繋がっておらず、かなり使い道が限定される高速道路である。
地図
本町2丁目交差点を過ぎると今度は下り車線の此方側に高速出口。
高速出口はそのままアンダーパスに繋がっており、一方r316側から交差点をパスしたい車両はそちらにレーンチェンジにしなければならない。
アンダーパスに入る手前の所で、昭和通りによって分断されてしまった道が横切っている。
じつはこれ、旧日光街道(江戸市街地では千住街道と呼ばれていた)。
現在は上野周りの日光街道(R4)だが、嘗ては浅草廻り( 現在のR6の一部)で千住に向かっていたのだ。
http://goo.gl/maps/2FdBv
地図
r316起点の本町3丁目が近づく。
青看板に記されるのはR4とR6のみ。
脇にはJR総武快速線の新日本橋駅への入り口。
総武快速線はほぼ横須賀線との一体運用。
更に千葉県内の内房・外房線とも一部直通となっており、東京湾を囲むように列車が走る形になっている。
日本橋本町3丁目交差点。
記事の流れ的には終点となるが、実際の所はr316の起点は此方である。
昭和通りはこのまま続き、日本橋よりやってきたR4がその名を継ぐ。
右折はR6で千葉・茨城・福島を経由して宮城県岩沼市で再びR4と合流する。
さて、この記事を書くまで昭和通り・海岸通りが『一つの道路』である事に違和感を感じでいたのだが、実際にはきちんと一つの意思で統一されていた道であった事に気付いた。
現地で走っていると気付きにくいが、地図で見れば中央区から大田区までほぼ直線に貫いているのだ。
また現状においても、中央通りに対しての昭和通り、R15に対して海岸通りの補完道路としての役割を果たしているが、現在未通となっている昭和島~大森東の区間を足して見てみれば、R131と神奈川県道1号線の『産業道路』と繋がる事により、もう一つの『京浜ルート』を形成する形になる。
ただ、後に建設された更に海側を走るR357『湾岸道路』の出現により、そちらに重要度がシフトしてしまい未通区間が放置されてしまったのだろう。( そして、今後も開通の可能性は極少)
本格的な京浜道路とは成れなかったが、東京縦断道路としては十二分に活用されているr316。
寂しく終わる平和島より、北へ向かう2つの街道と手を繋ぐ華々しい起点に向かって終わらせたく、今回は記事を終点側から進めさせて頂いたのであった。
国道4号へ
国道6号へ]]>
都道316号線 昭和通り(完結)
2014-02-07T00:06:32+09:00
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都道316号線 昭和通り② 新京橋~江戸橋
地図
商業施設がメインだった銀座地区からビジネス街の京橋地区へ。
歩道の脇に都営浅草線の宝町入口。
新橋~日本橋(江戸橋)までの昭和通りは地上道路・地下道・地下鉄と三重構造になっている。
なおこの交差点下には更にJR京葉線のトンネルも交差しているが、浅草線と接続するような駅は無い。
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地図
商業施設がメインだった銀座地区からビジネス街の京橋地区へ。
歩道の脇に都営浅草線の宝町入口。
新橋~日本橋(江戸橋)までの昭和通りは地上道路・地下道・地下鉄と三重構造になっている。
なおこの交差点下には更にJR京葉線のトンネルも交差しているが、浅草線と接続するような駅は無い。
地図
銀座地区の地下道は新橋から新京橋まで一気に交差点をパスしていたが、京橋・日本橋地区では交差点都度に一度地上に現し、上部道路と接続していく。
この画像を撮った時は地下道の大規模改修工事が行われ、一車線分を通行止め、更に地上接続部分を一部封鎖していた。
首都高もそうだが、高度経済成長期に建造物が一斉に建てられ、それらが半世紀程経ってやはり一斉に老朽化して言っているという印象。
奇しくも両時期とも東京オリンピック前夜というのが何とも因果。
地図
八重洲通りとの交差点。
左折先は東京駅前。
右折すると首都高宝町入口があり、その先をずっと進むと佃まで行ける。
地図
中央分離帯より車道を臨む
左車線は日本橋高島屋の駐車場待ちの車が列をなす。
現在、地上3車線・地下2車線の合計5車線のレーン(幅員44m)を持つ昭和通りだが、計画では倍以上の広さの108mであった。
昭和通りは関東大震災の復興の要として、復興院総裁『後藤新平』の肝いりで計画された。
この震災で密集した建造物に次々と火が燃え移り大火災となってしまった経緯をふまえ、巨大道路による空間を造り、延焼の広がりを食い止める狙いがあった。
また、帝都のメインストリートに相応しいゆとりある街路を形成し、来るべき車社会にも対応できるようにも計画されていたのである。
しかし、都心中心部にこれだけの道を造るのには莫大な予算がかかり、また焼けてしまったとは言え旧土地所有者からは国に土地を取られる事への反発も少なくなかった。
結局、予算も計画も大幅に縮小され現在の形に落ち着いた訳だが、それでも当時としてはかなりの大路であり完成の際には華々しい式典が行われ花自動車によるパレードも行われた。
地下道が開通する以前の中央部にはグリーンベルトが敷かれていたのだが、戦後一時期には食糧生産増大の為に畑として利用された事もある。(↓共同通信社の記事に当時の写真あり)
http://www.kyodo.co.jp/jpri/ge-tokyo/get-points-of-observation/showadoori/
地図
永代通りが横切る江戸橋一丁目交差点。
この交差点名からして江戸橋という地名があるのかと思うが、実は昭和48年に(地名としての)日本橋に統合され消滅。
この交差点下にある都営浅草線も『江戸橋駅』と言う駅名だったが、平成元年に『日本橋駅』変更されている。
地図
江戸橋南交差点。
左折の道は一方通行出口で、右折は禁止。
出来るのは左レーンから新宿・池袋方面へ向かう首都高へ入る事ぐらい。
また、ここで地下道から出てきた場合、信号過ぎてすぐに左側レーンに移動しないと次の信号で右折専用レーンに引き込まれてしまう。
ただし慌ててレーンチェンジしようとすると、後ろから地上区間を走ってきた車とぶつかりそうになったりして危険。
地味にドライバー、ライダーの注意力を試される交差点。
地図
日本橋川を渡る江戸橋。
現在架かっているのは昭和通り開通時の1927年(昭和2年)完成であるが、初代は1632年前後と江戸初期より続く由緒正しき橋である。
しかし如何せんお隣の日本橋が有名過ぎて、知名度的には日陰の橋。
だが実用性という面では圧倒的に江戸橋経由の昭和通りに軍配があがる。
日本橋前後が繁華街ど真ん中の為に常時渋滞中なのに対し、昭和通りは幅員も広く銀座・日本橋区間を地下道で殆どの交差点をパスする事ができる。( それでも詰まる事があるが)
『日本』橋は日本の道のモニュメント的な存在であり、『江戸』橋は正に江戸(東京)の街の流通を支える動脈なのだ。
続く]]>
都道316号線 昭和通り(完結)
2014-02-03T23:49:38+09:00
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都道316号線 昭和通り① 新橋~新京橋
地図
R15が横切る新橋交差点。
昭和通りはココからスタート。
逆方向は新橋駅前を通り赤坂方面へと向かう外堀通り。
新橋交差点過ぎてすぐに、反対車線側に旧新橋停車場がある。
逆光かつ木々に隠れて分かりづらい画像となってしまているが、初代新橋駅の駅舎を再現した鉄道歴史展示室がある。
この中に...
地図
R15が横切る新橋交差点。
昭和通りはココからスタート。
逆方向は新橋駅前を通り赤坂方面へと向かう外堀通り。
新橋交差点過ぎてすぐに、反対車線側に旧新橋停車場がある。
逆光かつ木々に隠れて分かりづらい画像となってしまているが、初代新橋駅の駅舎を再現した鉄道歴史展示室がある。
この中には汐留貨物ターミナル撤去の際に発掘された、初代新橋駅の基礎が保存されてる。
また鉄道や東京の歴史をテーマにした展示物を置かれている。
地図
新橋交差点から200m程で蓬莱橋交差点。
ここで海岸通りからr316本線ルートをバトンタッチされる。
ちなみに交差点名の元となった蓬莱橋は現存せず。
海岸通りの汐先橋(この橋も現前しない)から此処まで区間は旧汐留川を埋め立てて開通させた。
交差点名の橋名はこの川に架かっていた橋という事だ。
汐留川は赤坂溜池より流れ出て、一部は江戸城外堀の一角であったが、明治期に虎ノ門から幸橋(現在のJR高架と交差する辺り)までの流路が埋め立てらた。
昭和30年代には汐先橋まで高速と海岸通りの建設に利用され、現在は浜離宮のお堀となっている部分だけが残っている。(なお浜離宮のお堀の西側と南側が汐留川、北側が築地川となっている)
高架下ドンキのむこうに高速の新橋出口。
この高架道路、首都高と思いきや実は『東京高速道路』という別の団体が管理する道路(通称KK線)。
汐留JCT~京橋JCTの区間を持ち、西銀座JCTで首都高八重洲線と接続。
厳密には汐留JCTから蓬莱橋手前にある乗継所までは首都高八重洲線となっている。
この東京高速道路は高架下のテナント料で経営をまかなっており、通行は無料。
例えは新橋から入って、首都高に入る手前の新京橋で出れば料金は掛からない。
また、首都高から東京高速道路を経由して、また首都高へ入る場合でも10分以内に通過すれば再度料金を払う必要がない。
故に都心環状線の銀座付近が渋滞をしてても、KK線を利用することで迂回する事ができる。
因みに首都高開通(1962年に京橋~芝浦)より実はKK線の方が早かったりする(土橋~城辺橋開通が1959年)。
地図
東京高速の高架を潜ると、今度は異形の歩道橋が上部を覆う。
正式名称は昭和通り銀座歩道橋、愛称はときめき橋。
X字状の橋桁は歩行者の利便性だけでなく、昭和通り路面上に橋脚を築くことなく強度を保つ事に役立っている。
歩道橋入口各所にはエスカレーターも設置される豪華設計。
1995年(平成9年)完成と既にバブルは崩壊した時期ではあるが、好景気の余韻を残した感覚の建造物とも言える。
ちなみにこの橋をテーマにした『銀座・ときめき橋』と言う記念曲まで作られている。
地図
ときめき橋下の辺りから第一京浜方面から新橋交差点をパスするアンダーが地上に出てくる。
このアンダーはなんとバイク通行止め(原付はもちろん、125cc以上もダメ)。
途中、第一京浜から昭和通り方面へ向かう途中に急カーブがあり、そこで大きな二輪車事故か何かがあって通行止めになってしまったのだろう。
アンダー入口には二輪車通行禁止の標識は掲げられてはいるが、それでもうっかり入ってしまい、出口手前に待機している白バイに御用となってしまうライダーは絶えない。
地図
上がって来た地下道は本線と一瞬交わった後に再び地下に潜る。
この地下道は一種原付(50cc)以外の二輪車はOK。
新京橋交差点までの1km近くの信号をパスする事が出来て便利だが、夕方ラッシュ時には地下道が目一杯渋滞している事も多く、その場合はあえて地上ルートを通った方が早い場合もある。
地下道と分岐してすぐに晴海通りとの接続点である三原橋交差点。
左折は有楽町を抜けて皇居方面へ、右折は築地を経由して晴海・有明方面へ向かう。
交差点右斜めには歌舞伎座。
1889年(明治22年)に解説され、現在の施設は2013年(平成25年)に完成した5代目である。
地図
銀座東三丁目交差点を右折して200m程に首都高銀座入口がある。
この入口、銀座の名を冠しているがどちらかと言うと築地地区の方が近い。
あと、細い路地横にひょこっと入口があるような感じなので、慣れていない人にはちょっと使いづらい。
地図
新京橋交差点手前より地下道があがってくる。
新橋~江戸橋の間で唯一新京橋交差点だけがパスできない。
故にこの交差点を先頭とする渋滞が朝夕ラッシュに発生する。
地図
新京橋交差点は有楽町方面への左折オンリー。
右折方面にある高速羽田方面への京橋ランプへ向かうには、一旦路地を一周する必要がある。
左折後に直ぐUターンと言う方法も無くないが、幅員が広くはない道なので4輪だと余りオススメできない。
交差点を過ぎると東京高速の高架を再び潜り、京橋地区へ。
続く]]>
都道316号線 昭和通り(完結)
2014-01-17T00:04:48+09:00
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都道316号線 海岸通り⑥ 潮路橋~蓬莱橋
地図
潮路橋で支線を回収して新橋へと向かうr316。
浦島橋交差点という老化現象が進みそうな十字路へと差し掛かる。
『浦島橋』この交差点を左折した先にある、大正11年製という古橋。
この『浦島』はおとぎ話の方ではなく「芝浦先にある埋め立て島」の意味だそうだ。
右折すると芝浦埠頭。
ゆりかもめの『芝...
地図
潮路橋で支線を回収して新橋へと向かうr316。
浦島橋交差点という老化現象が進みそうな十字路へと差し掛かる。
『浦島橋』この交差点を左折した先にある、大正11年製という古橋。
この『浦島』はおとぎ話の方ではなく「芝浦先にある埋め立て島」の意味だそうだ。
右折すると芝浦埠頭。
ゆりかもめの『芝浦ふ頭駅』があり、レインボーブリッジを経由してお台場方面へと向かう。
かつてはこの駅周辺は鉄道貨物駅の芝浦駅があった。
汐留方面から引込み線が此処まで敷かれていたのだが、鉄道貨物の衰退により昭和60年に廃止。
その引込線跡にゆりかもめの高架が敷かれているのである。
地図
日の出橋を渡った先で、レインボーブリッジを渡って来た首都高台場線が羽田線に合流してくる。
地図
上は芝浦JCT、下は日本で2番目に短い国道のR130と合流する南浜橋交差点。
左折して470m程進むとR130の起点でR15とのアクセス点である芝4丁目交差点。
右折すれば直ぐにR130の目的地である日の出埠頭。
日の出埠頭は大正14年に開設された日本でも最も古い近代的埠頭である。
かつては国際貿易の主役を担っていた港湾施設であるが、現在では大型になった貨物船の接舷に対応できずに大井埠頭や品川埠頭がメインに。
現在では比較的に小型な荷物である非鉄金属や医薬の取引と、東京湾内の水上バスやクルーズ船の発着が行われている。
地図
完全に上部を高架に覆われたr316。
芝浦JCTから連続で浜崎橋JCTが続いており、首都高上では羽田線方面から芝公園方面、台場線方面から銀座方面への車がクロスするようになってしまい、コレが渋滞になる原因となっており、時には事故すら誘発する事もある。
更に芝公園方面の都心環状線は六本木近くまでひたすら蛇行するような線形になっている為に更に渋滞に付き合わされる事になる。
地図
首都高の分岐点下に浜崎橋信号。
前述の通り浜崎橋JCTは渋滞の名所として知られているが、下の交差点はこじんまりとした信号。
しかし計画上ではここで東京都市計画道路幹線街路環状第3号線(西側は外苑東通り、東側は三ツ目通り、末端は清澄通り)が交差する事になっている。
現状、金杉橋で終点となっているr316を伸ばしてくるも大変そうだが、(延長するとしたら古川暗渠化してその上に道を造る形になる?)この交差点右側はゆりかもめ超えて直ぐに東京湾。
海向こうの清澄通りと繋げる海上橋( もしくは海底トンネル)を建設する実現性は限りなく少ないと思われる。
地図
浜崎橋を渡って東京ガス前交差点。
名前の通り、左側に東京ガス本社入口。
右斜めに分岐する道を行くと伊豆・小笠原諸島への玄関口である竹芝埠頭へ。
地図
芝商業高校前交差点。
左折して200m程で浜松町駅で登校・下校時間には横断歩道を渡る学生でいっぱい。
右折すれば竹芝埠頭へも直ぐなので、そちらへ向かう人も多い。
地図
芝商業高校交差点過ぎると浜離宮庭園の外郭を沿うように深い角度のS字カーブとなっている。
この区間は浜離宮のお堀の一部を埋め立てて道が建設された。
地図
浜離宮庭園前信号。
左折してJR高架下を潜ってR15にアクセス出来る。
地図
汐留のビル街の横を通りつつ新橋へと近づいていく。
何度か言及しているが、汐留は嘗て国鉄最大級の貨物ターミナルだった。
汐留貨物駅は昭和61年に廃止されるが、しばらくの間は線路も施設も殆どそのままで残されていて、小学生だった自分はわざわざ千葉から自転車で来て巨大貨物ヤード跡を覗きにきてたりしていた。
この時はバブル絶頂期で、都心一等地にも拘らず何故に直ぐに売り飛ばさなかったのかと思ったら「もうちょっと待てば、更に地価が上がって儲けられそうじゃね?」と言う国鉄精算事業団の下心があったようだ。
しかし、バブルはあっけなくはじけて大不況突入。
結局捨て値でうるハメになり、更に再開発のメドも立たず10年近く更地として放置される事になる。
撤去の際に初代新橋駅の遺構が発掘され、広大な更地にポツンと記念碑と再現されたレールが佇んでいるのがシュールだった。
1995年にゆりかもめが開通するが、やはり当時の汐留周辺には何もなく、一応駅舎は用意されていたが、2002年にようやくビル街が形成されるまでスルーとなっていた。
因みに上記画像の青看板にちょこんと「地下通路入口」と表記されているが、汐留の全てのビルに直結する周回地下通路が用意されている。
何度か仕事でこの地下通路を利用しているが、周回路のどん詰まりカーブには嘗て直進路があった事を伺わせる封鎖フェンスがある。
もしかして、この周回路は貨物ターミナル時代の地下通路を再利用している?。
地図
首都高汐留出口交差点。
この手前には汐留JCTがあり、都心環状線と八重洲線が分岐。
上部の高架は八重洲線で、都心環状線は築地川跡の地下道を潜って築地方面へむかう。
地図
新大橋通りの起点、汐先橋交差点。
将来的には左折の道が環状2号線となる。
この画像を撮った2013年当時、この交差点から外堀通りと繋がる赤坂手前までのトンネルの建設が行われていた。
首都高の高架橋脚が地下道建設に影響してしまう為に、老朽化対策も含めて橋の架け替え工事も同時に行われる事となった。
この為、2012年7月8日〜2013年12月15日と長期間に渡り首都高八重洲線が通行止となる。
首都高ではこれから老朽路線の大規模改修が控えており、この八重洲線の橋梁かけ替え工事はその鏑矢とも言える。
地図
蓬莱橋南交差点。
左折すると汐留ビル街へ。
そして、この交差点に連続する形で蓬莱橋交差点。
ここで海岸通りは終了となる。(実際には起点)
ただし、r316はまだもう少しだけ続く。
渋滞する蓬莱橋交差点から新橋駅方面を望む。
次回からは新橋交差点からR15を分岐していく昭和通りを辿っていくとする。
昭和通りへ]]>
都道316号線 海岸通り(完結)
2014-01-05T23:05:26+09:00
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都道316号線 海岸通り⑤ 港南4丁目~潮路橋
  地図
新幹線引き込み線&休止中の貨物線の高架を潜った後、五色橋交差点先でモノレールも上を跨いでいく。
地図
運河を渡る五色橋。
この橋の『五色』はオリンピックの五輪の五色の事。
第一次東京オリンピックを2年後に控えた1962年(昭和37年)に開通。
敗戦によって荒廃した...
地図
新幹線引き込み線&休止中の貨物線の高架を潜った後、五色橋交差点先でモノレールも上を跨いでいく。
地図
運河を渡る五色橋。
この橋の『五色』はオリンピックの五輪の五色の事。
第一次東京オリンピックを2年後に控えた1962年(昭和37年)に開通。
敗戦によって荒廃した国土を急ピッチで復興させオリンピック開催したかつての日本。
果たして2020年のオリンピックは再び光を取り戻させるのか?
地図
頭上を覆う首都高に反対車線側からの入口が上がっていく
概ね首都高羽田線は天王洲辺りから混みだすので、ここで降りてしまった方が新橋方面に早く着く場合もある。
地図
港栄橋交差点を通過する。
左折し交差点名の港栄橋を渡った後にある夕凪橋がこの時(平成24年)はかけ替え工事中だった。
ちなみに港区公式サイトには区が管理する橋の一覧ページがあったりする。
延長・幅員や開通年月まで記載されていて大変便利。
メジャーな橋より何でもない地味な橋とかの方がデータが少なくて調べ時に困ったりする事が多いんだよなァ。
一方、交差点の右側を望むと超メジャー橋であるレインボーブリッジ下道のループ区間が見える。
道路上下線の間にはゆりかもめが通る。
車両と併走すると意味もなく楽しくなるのは自分だけ?
地図
『事故多発地点』の汐彩橋交差点。
この交差点手前にも路面に『事故多発注意』と表示され、更にアスファルトが赤く塗られている
ここまで強く警告を発しているのは平成24年12月30日に死亡者1名を出してしまったバスと乗用車の右直事故が影響しているようだ。
ここの信号は右折と直進の進行が別になっているので、恐らく信号変わり目にフライング、もしくは駆け込みダッシュした所を衝突してしまったという可能性が高い。
更に首都高が被さっている為に直進車から右折車への視界が入りにくい状況も事故の要員の一つと考えられる。
とにかく、交差点では『目に見える状況』だけを信じて行くのは危険。
常に最悪をイメージしておかないと次に事故に会うのは自分という事。
地図
東品川で分岐した旧海岸通りと再合流する潮路橋交差点が近づく。
交差点行き先を示す青看板が掲げられているが、レインボーブリッジへ向かう左折側の表記がちょっと気になる。
問題の部分を拡大。
シールのようなモノで隠された裏側にうっすらと都道を示すヘキサマークが。
そしてその都道番号は130号のようだが、実際の都道130号線は現在欠番となっている。
嘗てはr130と言う都道はあったが『東村山停車場線』に割り振られた番号で、この場所とは全く違う埼玉県よりの東村山市の道だ。
少し気になるのはこのすぐ近くに国道130号線があること。
更にこの国道130号線の一部が『旧海岸通り』となっている事だ。
この事から推測するに、この青看板を作成する際にこれらがごっちゃになって、うっかり間違った記載がされてしまったのではないか。
で、後からミスに気づいて修正した、って所か。
行政に間違えが多すぎるのは困るけど、偶にあるぐらいなら『ああ、やっぱり人間が作っているんだなあ。』とか思ってほっこりする。
続く]]>
都道316号線 海岸通り(完結)
2013-12-08T22:41:45+09:00
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都道316号線 海岸通り④ 新東海橋~港南4丁目
  地図
旧海岸通りと分岐しr317に一時重複。
新東海橋を渡り天王州へ。
天王洲は江戸期までは目黒川河口沖の堆積洲であった。
幕末に黒船対策として江戸港口に7つの台場が建設され、天王洲は第四台場が築かれる事になったが予算不足で未完となり、その後造船所に活用される。
昭和初期に第四台場跡は...
地図
旧海岸通りと分岐しr317に一時重複。
新東海橋を渡り天王州へ。
天王洲は江戸期までは目黒川河口沖の堆積洲であった。
幕末に黒船対策として江戸港口に7つの台場が建設され、天王洲は第四台場が築かれる事になったが予算不足で未完となり、その後造船所に活用される。
昭和初期に第四台場跡は埋立地に飲み込まれ、その後天王洲は倉庫街となっていく。
なお天王洲は品川区の土地として埋め立てられていったが、1955年(昭和30年)までは第四台場跡の場所だけは他の台場に合わせて港区(23区成立以前は芝区)の所属となっていた。
お台場が海を挟んで港区所属の飛び地となっているのもこの為。
地図
r317の終点となる天王州アイル交差点に突き当たる。
単独区間となったr316は右折し首都高が上を覆い被さってくる。
直進はr480で品川埠頭内へ向かう。
運河対岸、品川ふ頭橋を渡った向こうには大井埠頭へむかうr316支線が通っている。
地図
天王州アイルのビル街の谷間を往く。
反対車線側にはモノレール天王洲アイル駅がある。
天王洲アイルにはもう一つりんかい線の駅もあるが、駅舎は接続しておらず交差点を挟んだ徒歩連絡。
さらにモノレールは高架、りんかい線は地下駅と高低差もあり乗り換えは少々不便。
地図
運河を渡る天王洲大橋。
橋の左側の木々の向こうに帆船のマストが見える。
この帆船は東京海洋大学海洋科学部の前身、東京水産大学(旧・ 大日本水産会水産伝習所)で1909年(明治42年)~1929年(昭和4年)まで使われていた練習船『雲鷹丸』である。
学生の教育だけでなく、カムチャツカ漁場開拓、蟹工船事業開発、捕鯨研究などにも使用され関東大震災では被災者の救助にもあたった。
現在は東京海洋大学のキャンパス内に保存されていて、国の登録有形文化財にもなっている。
地図
橋を下りると品川区から港区へ。
左側歩道向こうは先程述べた東京海洋大学品川キャンパス。
東京海洋大学は2003年に東京水産大学と東京商船大学が合併して出来た国立大学。
品川キャンパスは東京水産大学を元とした海洋科学部が置かれており、水産物に関わる多くの分野の研究が行われている。
ハコフグの帽子がトレードマークの『さかなクン』さんは、進学の際に東京水産大学の試験を受けるが落ちてしまった。
しかし、その後の活躍が認められ2006年から東京海洋大学の客員準教授となっている。
地図
港南小学校前交差点。
左折はすると小学校と幼稚園、そして東京海洋大学が立ち並ぶ文教地区を抜け品川駅港南口のターミナルへと至る。
地図
港南四丁目交差点で天王洲アイルで分岐したr480が品川埠頭を横断して再びここで合流。
左折は水再生センター横切って、やはり品川駅前へと向かう。
続く]]>
都道316号線 海岸通り(完結)
2013-12-08T21:09:17+09:00
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都道316号線 臨港地区支線④ 北部陸橋東詰~品川ふ頭橋
ふと貨物ターミナルの方へ目向けると、プラットホームが設置されたレール。
しかし、この場所に旅客駅などは存在していないのである。
では、もしかしたらこれから開設される新駅なの?と言われればそうではない。
実はこれJR東日本の研修施設。『JR東日本技術研修センター』。
鉄道業務に関わるあらゆる...
ふと貨物ターミナルの方へ目向けると、プラットホームが設置されたレール。
しかし、この場所に旅客駅などは存在していないのである。
では、もしかしたらこれから開設される新駅なの?と言われればそうではない。
実はこれJR東日本の研修施設。『JR東日本技術研修センター』。
鉄道業務に関わるあらゆる分野の総合的な技術向上を試みるために授けられた。
保線や架線等設備保全技術の教育の他にも、先程の研修用ホームではホームドアの試験運用なども行っている。
更に門の後ろには模擬トンネルが見えるが、一部が煉瓦積み。
当然、古い煉瓦隧道にも対応できるようにする為だ。
ただ各個の部署の研修だけでなく、異なる業務の人達が一緒になって教育を受けたり、研究に携わる事によって見えなかった問題点や新しい発想を生み出していく事も此処では期待されている。
技術研修センターはこの場所以外ににも、塩尻や新潟、仙台等JR東日本管内の各地に授けられている。
また、各センターには愛称が付けられているのだが、この東京支社の愛称は『ななかまど』
バラ科の落葉樹『ナナカマド』から来ており、花言葉は「怠らない心」。
そして、7度かまどに入れても燃えきらせる事が出来ないが、その炭は極上品となると言われている。
施設駐車場の脇には鉄道標識がいっぱい。
勿論これらも教育資材。
陸橋上からセンター施設を望む。
短い区間にあらゆるタイプのレールやポイントが圧縮。
なお、この研修用レールは大汐線の貨物ターミナルのスルー線上にある。
現在は保線車両を使う試験・教育に使われているが『JR羽田空港線』が実現した場合はここを迂回する線形に変えなければならない。
技術研修センターより更に奥を望む。
貨物線の線路の横を車両基地に向かうN700系新幹線が通りすぎる。
そのまた奥には首都高湾岸線。
建設中の大井JCTの高架も見える。
首都高中央環状線はこの大井JCTから池尻JCTの完成により全線の開通となる。
工事は1982年から始まり、最初の時点での全通は1999年を予定していたのだが、建設中にバブル絶頂期による地価の暴騰とその後に訪れたバブル崩壊による経済の冷え込みをモロに受け一時期凍結状態になり、結局全通まで30年以上の歳月がかかってしまった。
地図
鉄道と高速の上をカーブを描きながら跨ぎ、陸橋を下っていく。
途中に橋上の交差点。
直進はr421となり大井町方面へ。
r316をなぞっていくなら右折。
左折は湾岸線に接続する
地図
陸橋を降りていき、下からR357からの側道が合流。
地図
京浜運河と新幹線引き込み線+貨物線に挟まれ直進。
大井火力発電所方面に向かう道との丁字路を過ぎると若潮橋を渡っていく。
若潮橋は2013年時には新橋建設中の為に仮設橋となっていた。
この橋の下では先程述べた中央環状線建設も行われていたので、そちらの作業と合わせて新橋建設も行われたのだと思われる。
地図
新橋までの2ルートの所要時間が表示された案内板。
この日は旧海岸通りに渋滞が発生し時間がかかっていたようだ。
基本的には此処からだと海岸通りの方が流れが良い場合が多いが、状況によっては旧海岸通り、もしくはR15まで迂回した方が早い場合もある。
最も、どのルートを通っても交通量が多いので何処かで渋滞に巻き込まれるだろうが。
地図
品川ふ頭橋手前の信号。
r480が横切り品川火力発電所前を通って品川埠頭内へ。
直進は埠頭隣接の倉庫街を通る。
そして、r316支線はここで唐突に終わってしまうのである。
天王洲アイル上空は雲に切れ目が見えるものの相変わらず大粒の雨が降り続ける。
品川ふ頭橋を渡ると直ぐにr316本線である海岸通りに接続できるのだが、地図上で見る限r480とr316支線が重複している訳ではなさそう。
本線と運河挟んで隣り合っているものの、結局再合流せずに終了する支線。
なんとも中途半端な終わり方だが、果たして別のところで合流する延長計画とかがあったのだろうか?
それとも、深い意味なくブツ切り?
まあ、ほとんどの人は普通コンナ事を気にしないし、問題なく都内中心地方面へ橋を渡っていけるワケだが。
取り敢えず橋を渡って海岸通りへ
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都道316号線 臨港地区支線
2013-12-02T00:57:15+09:00
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都道316号線 臨港地区支線③ 第6バース入口~北部陸橋東詰
地図
6・7バース入口に引き続いて第5バース入口。(八潮2丁目交差点)
第5バースを使用しているのは台湾の船舶会社「ワンハイラインズ(萬海航運)」。
レーンが空いた所に3・4バースレーンが入っていく。
各バースに向かっていく貨物車専用レーンは相変わらずのギュウギュウ詰めだが、通常レーンはスカスカ...
地図
6・7バース入口に引き続いて第5バース入口。(八潮2丁目交差点)
第5バースを使用しているのは台湾の船舶会社「ワンハイラインズ(萬海航運)」。
レーンが空いた所に3・4バースレーンが入っていく。
各バースに向かっていく貨物車専用レーンは相変わらずのギュウギュウ詰めだが、通常レーンはスカスカ。
地図
道脇のヤードにコンテナの山。
船舶用コンテナには世界各地で貼られた荷捌き確認用のシールやタグを付けられているが、自分はそういうアイテムに無性に旅情を感じてしまう。
因みに遠方から来た車のナンバーも同様に、彼の地への旅愁を感じる。
いいなぁ、遠くへ旅したいなぁ。
地図
第3埠頭交差点は3・4バースの入口。
ただし、バース内のヤードへ大きく切り返して入る形になってしまっている為に、この交差点の先にもう一つ入口が用意されている。
この3・4バースは商船三井が使用。
明治維新直後に新興財閥であった三菱と激しく争った三井財閥。
大井埠頭でバースひとつ挟んで睨み合う。
地図
コンテナヤード向こうに大型ガントリークレーン。
このガントリークレーン、横から見ると紅白のキリンの様に見えるが、『マニアパレル』さんではこんな素敵なアイテムを出している
地図
貨物車専用レーンのラストの1・2バース入口。
こちらのバースの利用会社は川崎汽船。
川崎汽船は現・川崎重工となる川崎造船の船舶運輸部門が1919年(大正8年)から独立。
川崎重工・川崎製鉄と共に神戸川崎財閥の一員だったが、現在では独立した企業グループとなっているようだ。(ただ新造船のメインの発注先は川崎重工だろうが)
埠頭の反対側にはJR貨物の東京貨物ターミナル。
奥には貨物列車のヤードが広がっているが、駐車場挟んだこちら側には草ボウボウの単線のレール。
本来のこのレールは汐留方面から東京貨物ターミナルをパスして川崎方面に向かう列車に使われるものであった。
しかし汐留ターミナルは消滅し、そもそも浜松町手前でレールが途切れてしまい通るべき列車が無くなってしまっているのだ。
もし今後このレールが使われるとしたら先に述べたJR羽田空港駅が開設された時であろう。
地図
北部陸橋東詰交差点。
左折はエフプラザ内へ、左折は倉庫地区に。
地図
交差点過ぎると直ぐに陸橋に差し掛かる。
しかし、ふと横を見ると意外なモノが。
駅?
続く]]>
都道316号線 臨港地区支線
2013-11-26T22:09:20+09:00
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