その④より
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三つの川を渡りきり江戸川区船堀に降り立つ。
先ほど渡ってきた船堀橋だが開通は1971年で、
それ以前は300m下流に旧橋が架けられていた。
旧橋は1923年完成の木造橋で朝は西行き、夕方は東行きの一方通行であったそうだ。
現在は旧中川から中川に至るまで『船堀橋』と一括りにされているが、旧ルートでは荒川と中川部分が『船堀橋』、旧中川部分が『船堀小橋』と分けられていた。
旧船堀橋は跡形も無いが船堀小橋は鋼製桁橋の『中川大橋』に架け替えられて、小松川と大島を結んでいる。
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船堀橋東詰交差点。
交差するは都道308号線船堀街道。
右折すると新宿線の船堀駅。
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ずっと雑居ビルが両脇に並ぶ光景が続いてきた新大橋通りも、荒川を渡ると大分落ち着いた雰囲気なってくる。
東京の地理をそこまで詳しく知らなかった時期はこの『江戸川区の新大橋通り』と『中央区の新大橋通り』が同じ道だとまったく気付かなかったぐらいに雰囲気が違う。
しかし、このギャップこそ『道を辿る』と言うことの醍醐味に他ならない。
一つの道が持つ様々な顔を楽しみたいのだ。
道の脇に新宿線の排気口。
ずっと新大橋通りに沿ってきた新宿線も、船堀からこの道の傍から離れて、終点の本八幡ヘと向かう。
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都立葛西工業高校と江戸川区立一之江小学校が向かい合う交差点。
小学校後ろ手には更に二之江中学校があり、ちょっとした文教地区。
東日本大震災が発生して間もない2011年4月、この交差点を入学したての小学一年生の子供達が防災頭巾を被って集団登下校していた光景が強く印象に残っている。
交差点脇にキロポスト。
起点の汐留より12km。
そろそろ東京の外縁も近づいてきた。
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葛西工業高校前交差点。
東京環状道路の東側最外周である環七との交差。
環七には葛西の倉庫地帯へ向かうトラックが多数通り、東東京から集客してきたエアポートリムジンバスなんかも見受けられる。
左折して200mほど行くと新宿線一之江駅。
なお『新大橋通り』の愛称は此処まで。
この先は単なる『東京都道50号 東京市川線』となる。
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環七を越えると新今井橋へ。
橋の中央で瑞江方面へ向かう側道が分岐する。
この橋が渡る新中川は中川本流と江戸川を繋ぐ放水路。
江戸川と新中川の合流部分には
水量調節をする水門がある。
川を渡った先はそのままカーブ状の立体交差橋、さらに連続して都県境となっている今井橋へと繋がっていく。
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