都内を周回する八環状道路。
内堀通りはその最も内側で、皇居を横をぐるりと一周する形となっている。
この道との分岐点を実質的な起点とする主要街道や大通りも多く、いわば道路の山手線。
内堀通りの起点部分がイマイチわからず、とりあえず回り始めた半蔵門交差点より周回していく。
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地図
半蔵門交差点より周回していく。
数十分後再び此処に戻ることになる。
国道20号線が分岐。
半蔵門交差点より平川門交差点までのルートは都道401号線 麹町竹平線が指定されている。
この路線名の終点部分の地名が「竹平」となっているが、内堀通りにこのような地名は見当たらず。
どうやら終点部分の「竹橋・平川門」を省略したように思われる。
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半蔵門前を過ぎ、イギリス大使館を横目に行くと千鳥ヶ淵交差点。
ここを右折すると竹橋交差点までショートカット出来るが内堀通りをトレースするので直進。
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千鳥ヶ淵交差点から谷状になった地形を越えていくと靖国神社前の九段上交差点にでる。
ここで靖国通りと一時重複。
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田安門交差点で早稲田通りと分岐。
ココから九段坂を降りていくのだが、遠くを見るとスカイツリーが立ち並ぶビルの向こうに望める。
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九段下交差点で右折すると重複区間を抜けるのだが、この交差点は日中右折禁止。
車両だと右回りでは正確にトレースできず。
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九段下交差点横には九段会館。
帝冠様式と言う近代建築と和式建築を融合させた昭和初期のデザイン。
戦前は軍人会館として使われていた事から、『武士が集結する場所』として城郭のイメージを強く反映しているのだろう。
時代を物語る歴史的建造物であるが、耐震設計の古さが仇となり、東日本大震災発生時に天井が落下し犠牲者がでてしまった。
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千代田区役所前を横切り、清水壕脇へ。
水辺に沿ってS字を描き、首都高竹橋JCTの下を潜る。
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竹橋交差点。
先ほど分岐した代官町通りと合流。
内堀通りは左折。
清水壕をわたる竹橋。
竹橋の歴史は思った以上に古く、戦国時代から既に架かっていたと言われる。(竹橋の由来に後北条家家臣、在竹氏より来たという説)
現在架かっている竹橋は大正15年開通。
数多く築かれた関東大震災の復興橋の一つ。
関東大震災の復興都市計画は現在の東京の形を物語る上で欠かせない要因の一つ。
そもそも東京八環状道路の最初の原案はこの復興計画で提案されたものである。
地図
竹橋交差点を左折して100m程進むと平川門交差点。
ここでr401は終了。
丁字路左側から白山通りを辿ってきた都道301号線にバトンタッチ。
ちなみに休日はここから祝田橋交差点まで歩行者道・・・と言うより自転車道状態になる。
多くのサイクリストが皇居前サイクルを楽しむ。
内堀通り②に続く
[2回]
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