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新東海橋交差点を直進して旧海岸通りへ。
一応『
海岸通りの旧道』と言う事になるが、さりとて歴史を持った道でもなく、ごく普通の都市型道路。
特徴的には旧海岸通りがビジネス街を行き来する商用車が大半なのに対し、現海岸通りは港湾地区が近いので大型貨物車メインと言った感じ。
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天王洲橋を渡り港区へ入る。
この橋で渡っている水路、現在はどん詰まりの小型船舶停泊場のような形になっているが、昭和30年代までは此方が目黒川の本流であった。
どん詰まりの西側から現本流までは埋め立てられ道路に。
またその反対側には品川駅貨物ヤード直結の港があった。(
昭和22年の品川駅上の航空写真)。
古くより旧目黒川河口周辺は良港と知られ、鎌倉期には太平洋航路と関東河川輸送の仲介貿易港として栄えた。
それゆえ目黒川下流域を『多くの品が集まる川』=品川と呼ばれ、これが現在の品川の地域名の元になったという説がある。
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橋を下って楽水橋交差点。
右折の一方通行先にある橋が楽水橋。
渡った先に東京海洋大学の広大キャンパスがある。
左折先へ進むと京浜急行の北品川駅近くにでる。
この『北』品川駅、品川駅の『南』にあるが実は、本来の品川宿は北品川駅の周辺部である。
前述の通り、品川は目黒川河口の湊に寄り添って栄えてきた街だが、官営鉄道の品川駅が『本来』の品川地域より北の外れに置かれ、そのまま『品川』の中心がそちらに移ってしまった。
しかし、実は『品川駅』の周辺は港区(西口が港区高輪、東口が港区港南)になり品川区に属していなかったり。
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楽水橋交差点過ぎて、また直ぐに丁字路交差点。
左折先はJR・京浜急行の下を潜ってR15。
ここで左折しないと2km先までJRを跨ぐ道が無いので注意。
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先に進んで東京中央卸売市場の食肉市場の横を通る。
ここでしばしば牛や豚を乗せたトラックと行き交う。
『ドナドナ』されてきた家畜が、この市場内で生体解体され『食用品』となり市場に出回って行くという事だ。
市場周辺は品川駅前のビジネスビルに囲まれており、なんとなく違和感のある施設にも思えるが
、東口周辺は新幹線駅が開設する以前は倉庫が立ち並ぶ物流集積地区であった。
前述の通り、高層ビル地区も元々は港を埋め立てた所。
食肉市場も品川駅貨物ヤードに隣接していたので、以前は鉄道での食用家畜輸送がメインだったのだろう。
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市場横を進んで、港南2丁目交差点。
左折先は品川駅港南口ターミナル。
現在は立派な駅ビルが立つ港南口だが、かつては殺風景な倉庫街にぽつんと小さな駅舎があるような状況だった。
また東口へ向かうには貨物ヤード下を潜る薄暗い地下通路を通らねばならなかったのだが、この通路を建設したの食肉市場の職員達である。
昭和13年、埋立間もない港南地区に食肉市場(開設当初は『
東京市営芝浦屠場』)が建設されたのだが、最寄りの品川駅には当時は東側高輪方面にしか出口がなく西側港南方面は広大な貨物ヤードが広がっているのみ。
そこでお役人達は『てめえらぐらいしか使う奴はいなんだから、てめえらで作れや』と、屠場の作業員を狩り出させて地下通路を建設したのだった。
戦前のお役人の横柄さと、そこはかとなく『屠殺』を仕事にする人への差別心が感じられなくもない。
今は広くて綺麗な連絡通路が駅上を跨ぎ港南と高輪を行き来できるようになってなり、食肉市場も周り溶け込むように施設は近代的なビルとなっている。
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新港南橋交差点へ。
右折は分岐した海岸通りを横切って品川埠頭へ。
左折はソニー本社、NTTツインビル横を通って品川駅前に向かう。
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品川駅前地区を抜けると旧海岸通りは東京都水再生センター(下水処理場)のど真ん中を突っ切っていく。
高浜橋交差点前がセンターの入口。
此方は昭和6年開設で食肉市場よりも古くからある。
この施設では都内中心部、おおよそ山手線の周回内地域の下水を処理。
処理が終わった水をただ海へと放水するだけでなく、現在は周辺のオフィスビルにトイレ用水として供給したり、空調機器の冷却水に活用したりと水資源の効率的運用がなされている。
また、濾過施設である沈殿池の上部に人工地盤を構築し、オフィスビルを建設する工事も進められている。
土地も資源も少ない日本、あらゆるモノを無駄なく使って行かねばならない。
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東海道新幹線の引き込み線の下を潜る。
新幹線引き込み線に併走して貨物専用線が敷かれているのだが、現在は休止線扱い。
東海道線と繋がっていたレールは地下鉄大江戸線建設と予定されていた東京モノレール浜松町駅移転・東京駅延長計画(現状は凍結状態)の為に撤去され、浜松町手前で途切れてしまっている。
続く
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