その②より
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新大橋から150m程で森下交差点。
清澄通りと交差。
この下には日本橋浜町方面から来た都営新宿線の森下駅がある。
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直線で江東区内を突っ切る。
道両脇にマンションと雑居ビルが立ち並ぶ単調な景色がしばらく続く。
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三つ目通りと交差する菊川交差点。
交差点直下には菊川駅。
周辺の雰囲気が森下交差点と似ているので、何度も通っているのに未だに間違える事がある。
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菊川交差点を少し進んだ下り車線側に長谷川平蔵・遠山金四郎邸跡。
鬼の平蔵の屋敷跡の隣に落書きするとは恐れを知らない奴いるな。
その平蔵の死後、長谷川家が引っ越した後に住んだのが遠山の金さん。
どちらも元不良でありながら役職に就いた後は有能な官士となり、上司に時折歯向かいつつも庶民の立場にたった仕事をし続けた人物。
同じ場所に住んだと言うのは何かの縁か?
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平蔵・金さん邸跡を過ぎると親水公園として整備された大横川を渡る。
江東・墨田近辺は江戸期に運搬水路として使われた小さな川がいくつもある。
今では殆ど面影は失われてしまったが、かつての江戸はベニスにも劣らぬ水の都であった。
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住吉交差点では四つ目通りと交わる。
例の如く、この下には住吉駅。
此処では都営新宿線だけでなく東京メトロ半蔵門線も停車。
更に将来的には有楽町線が乗り入れてくる予定があり、既にホームスペースなど一部施設が用意されている。
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住吉交差点すぐに傍に猿江恩賜公園があり、新大橋通りを挟んで広大な広場がある北園と野球場やコンサートホールがある南園に分けられている。
かつては幕府直轄の貯木場で、明治維新後も政府の管理下にあった。
大正13年に裕仁親王(後の昭和天皇)の成婚記念に南園部分が東京市に下賜され公園に。
その後、昭和47年に貯木場が潮見の移転し、昭和56年の北園一部開園を経て2年後の昭和58年に全面開園となり現在の形になった。
公園向こうにやたら高い双子ビルがあるが、『ザ・ガーデンタワーズ』と言う高層マンション。
東側がサンライズタワーで西側がサンセットタワー。
地上39階のダブルタワーは相当目立ち、江東区のランドマークの一つとも言える。
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コンサートホール『ティアラ江東』横を通り過ぎると横十間川を渡る本村橋。
横十間の『横』は上流部にある亀戸天神の横を流れることに因む。
この川もお江戸の水運を支えた水路の一つ。
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勾配のキツイ本村橋を下って更に進むと、貨物路線『越中島支線』のガーターを潜る。
この路線は小名木川駅で水運とリンクする為に出来た路線で、その後に東京都港湾局とのレールが繋がり豊洲や晴海方面の海運業にも貢献する形にもなった。
しかし、流通がトラック輸送にシフトし輸送量が激減。
平成元年には港湾局の路線が全廃し、平成12年にはこの路線の最大需要先であった小名木川駅が廃止。
今は細々と越中島にあるレール工場からの搬送を1日3往復行っているのみである。
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複線分のガーターに単線のか細いレールが敷かれた越中島支線を過ぎて、明治通りとクロスの区民センター交差点。
この下には都営地下鉄のドル箱路線、ラッシュ時には3~4分間隔の西大島駅がある。
ほぼ同じ場所に通る鉄路でも大違いだ。
都営新宿線と共に新大橋通りは東進を続ける。
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