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富久町西交差点を過ぎると、やや急で緩いS字カーブとなっている坂を下る。
東京だと印象的な坂道には名前が付けられる傾向があるが、この坂にも『安保坂』という名が与えられている。
ただし、神楽坂や九段坂の様に江戸期から親しまれている坂と違い、この坂に名前が与えらたのは昭和19年と比較的新しい。
それもそのはず、丁度この坂が靖国通り(大正通り)に開削において造られた新規の坂であるからだ。
『安保坂』とい名も坂の横は海軍大将『安保清隆』の邸宅があった事からに因む。
この安保清隆という将官は日露戦争の日本の勝因の切欠を作った日本海海戦に於いて、連合艦隊旗艦『三笠』の砲術長であったという経歴を持つ。
敗色が濃くなってきた昭和19年という時期に名付けられた辺り、そのような『景気のいい過去を持つ人物』にあやかろうと言う背景が見えなくもない。
坂を下りきると富久町交差点。
左右に分岐していく道は、靖国通り開通以前より存在する。
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富久町交差点を過ぎるとビル向こうに防衛庁のアンテナ塔がそびえ立つのが見える。
あの塔を媒介して、日本の防衛を担う情報が送受信されているかと思うとちょっと胸熱。
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住吉町交差点。
地下には都営新宿線曙橋駅。
左側斜め後方へ向かって
r302の支線が分岐していく。
本線がJRガード下で終点なのに対し、支線はJRを超えて中野坂下まで向かう。
また交差点先で二股に分岐し、左方の側道は外苑東通りへと坂を登っていく。
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靖国通り本線は駅名ともなった曙橋の下を潜る。
曙橋上は外苑東通りが通り、立体交差となっている。
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合羽坂下交差点。
外苑東通りより下りてくる坂道が合羽坂。
この坂は現在では立体交差の側道の様になっているが、明治以前より存在する道。
坂上より現在、外苑東に組み込まれている道を通して牛込方面へむかっていた。
また坂の横下にある小さな小道は坂を登らず内藤新宿方面へ向かう人の為の道で、靖国通り本線の旧道とも言えなくもない。
右折の道は津之守坂を上ってR20にでる
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合羽坂下交差点過ぎると防衛省・市谷駐屯地敷地横に沿って道が進む。
歩道沿いに厳つい法面が続く。
ふとよく見るとコンクリに切れ目が入っている箇所があって、さらによく見ると目立たないようになってはいるが大型車両が出入りできるような扉だという事に気付く。
有事には此処から『びっくりドッキリメカ』が出てくるのかも、とか妄想。
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防衛省正門前に位置する市谷本村町交差点。
右折の道の先は外堀通りを介して四谷方面にでる
防衛省正門。
平日は多数の警備員が立ち、奥には銃を構え直立不動の衛兵が門を守る。
休日はご覧の通りひっそり。
こんな日にテロリストやゲリラが侵入してきたらどうしようとか、余計な事を考えてしまう。
目に見えてない所できっちりガードしてるんだろうが。
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我が国の守りの要、防衛省庁舎。
東日本大震災が発生した平成23年の3月から5月にかけて、この庁舎屋上に大型ヘリが何度も離発着していた事を思い出す。
この奥には、旧市谷駐屯地一号館を改装、移築して造られた市谷記念館が置かれている。
市谷駐屯地一号館は開設当初は士官学校校舎、第二大戦中は大本営、終戦直後は極東軍事裁判所に使用され、更に戦後には三島由紀夫によるクーデター決起演説と自決という歴史的事件の現場にもなった。
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防衛省を通り過ぎると、右側から外堀通りが接近してくる。
市谷八幡町交差点で合流するが、僅か100m程ですぐに分岐。
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市谷見附交差点。
先程の市谷八幡町交差点とほぼ一体化。
靖国通りは、ここを左折し外堀を超え市ヶ谷駅前へと上がっていく。
続く[8回]
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