内堀通り①よりの続き
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平川門交差点を越え、気象庁前交差点へ。
ここから大手門交差点は非常に交通量が多く、日中はかなりの確率で渋滞している。
ちなみに仕事帰りの夕方に撮っているので、これからどんどん画像が暗くなっていくがご容赦を。
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大手門交差点で永代通りが分岐。
内堀通りはこのまま直進し、皇居外苑を突っ切って行くが、実は「環状1号線」はここを左折して永代通りへ入っていくルートとなっている。
以下の図が環状一号線の正式なルート
より大きな地図で 環状1号線 を表示
赤線が環状一号線、
青線が内堀通りのショートカット部分。
永代通りへ入って次の大手町交差点で右折し日比谷通りへ入る。
そしてしばらく直進した後に日比谷交差点を右折して晴海通りと合流し祝田門交差点で再び内堀通りに入る、というのが環状1号線の正式なルート。
元々の計画ルートが戦前のもので、皇居外苑がまだ一般解放される前だったからだと思われる。
戦後に皇居外苑を貫く現在のルートができて、大手門~祝田門がショートカット出来るようになったが、登記上では環状1号線のルートは戦前ルートのままと言うことであろう。
大手門交差点横には当然、大手門がある。
皇居の表玄関となっている二重橋方面が脚光を浴びやすいが、徳川200年の治世を支えてきた江戸城本丸の正面玄関は此方である。
現在の大手門は東京大空襲一度消失し、戦後に作り直されたものである。
よく見ると大手門の外壁がボロボロになっている。
やはり、東日本大震災の影響か?
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大手門交差点より皇居外苑内へ
都道404号線行幸通りとの交差点。
関東大震災復興計画において行幸通りは日比谷通り~東京駅間が計画道路として開通している。
皇居外苑が1949年に解放、内堀通り開通によってこの交差点まで一般道路として延長されたと考えられる。
広大な外苑広場を貫く内堀通り。
その向こうに林立する高層ビル群にここが日本首都だと言うことを感じさせる。
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二重橋交差点。
右折して鍛冶橋通り経由で東京駅西側へ出る。
他線ホームから隔離状態の京葉線ホームへはこっちの方が近い。
ただし、地下奥深くまで潜るのでやっぱり時間がかかる
交差点から皇居方面を望むと二連アーチの石橋が見える。
此が二重橋、と思いきやその更に奥にある鉄製の橋が本当の二重橋。
結構勘違いしている人が多く、「二重橋」でググると殆どがこの正門石橋を指している
最も自分もこのレポ作成まで勘違いしてました。
本物の二重橋は昭和39年完成で基本的に一般には開放されない。
かつては木橋で上下二層構造の作りだった為に二重橋と呼ばれるようになった。
一方正門石橋の方は明治20年完成、100年オーバーの古橋である。
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5車線を要する祝田橋交差点。
そのうち内堀通りに沿う右折レーンが4つもある。
昔、原付で何の疑問も持たずに他の車と一緒に流れていって、二段階右折違反で捕まったのは良い思い出。
しかも、白バイ警官に違反内容を告げられるまで気づかなかった。
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祝田橋すぎて200m程で桜田門交差点。
R1が分岐。
桜田門と言えば、幕末に井伊直弼が反幕浪士に暗殺された事で有名。
物騒な事件の舞台となった場所にもかかわらず、いまや桜田門は観光名所。
それだけでなく、ここから正門石橋を経由して東京駅方面へ抜ける歩行者用のショートカットルートととして多くの人が行き交う。
桜田門ともう一つ有名なのがこの場所。
お江戸の治安を一手に引き受ける警視庁本庁舎。
三角錐型の特徴的な建物で、重要事件が発生すると多くのマスコミが周辺に集まってくる。
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桜田門を過ぎれば国会議事堂が正面に。
国会前を直進する大通りと左右に六本木通りと内堀通りが別れていく。
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左側に霞ヶ関トンネルから出てきた首都高新宿線が並走。
微妙に蛇行しながら三宅坂交差点へむかう。
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この交差点直進がR246青山通り。
内堀通りとR20は右折。
ここは交通取り締まりの名所で進路規制やレーン変更禁止。当然原付二段階右折規制もあるが、半蔵門方向からだと逆に二段階禁止だったりと規制のオンパレード。
交差点脇の交番には大量の白バイが控えてたりして色々怖い。
いや、道交法守ってりゃいいだけなんですけどね・・・
無機質で重々しいデザインの最高裁判所が法を犯さざる者がいないか三宅坂上より見下ろす。
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国立劇場脇を通り半蔵門交差点に到着。
これにて周回終了。
R20は右折して四谷・新宿へ。
最後に半蔵門手前より内堀を霞ヶ関方面に望んだ景色を。
大都会の渓谷と言った感じ好きな光景。
[4回]
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