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東京起点

東京23区が起点の道を延々追いかけるだけのブログ。

   
カテゴリー「国道6号線(継続中)」の記事一覧

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国道6号線④ 水戸街道(四ツ木橋~本田広小路)

R6-43.jpg
土手上より橋の向こうを望む。
河口側には新四ツ木橋が隣接する。
こちらも一応R6となっているが川を渡ってすぐr449との交差点で国道指定が外される。
四ツ木橋の渋滞緩和の為に建設された新橋だが、工事中に8名の作業員が死亡すると言う大事故が発生している。
川底の橋脚設置作業中に水を遮って作業スペースを形成していた鋼矢板が崩壊して中にいた作業員が川に飲み込まれてしまったのだ。
事故は大きく取り上げられ、作業方法に問題が無かったか国会でも取りざたされた。
また犠牲になった作業員が青森より出稼ぎに来た人々だった事から、家族と遠く離れた地での悲劇としてNHKで特集を組まれている。


R6-38.jpg
多くのランナーが走る荒川河川敷道路。
ドラマ『3年B組金八先生』では毎シリーズのOP定番ロケ地となっていた。
ドラマの舞台となった桜中学の校舎ロケ地である足立区立第二中学校は四ツ木橋より1km先上流に行った所にあった。
第二中学はは生徒数減少により廃校になってしまったが、跡地に東京未来大学が開校し『金八先生』のラストシリーズは同大学を校舎ロケ地としている


R6-46.jpg
悠々と流れる荒川。
川幅500m近い大河だが、③で書いた通り岩淵水門より下流部は人工的に注水された河川である。
荒川放水路の流路になった為に消えた地区もあり、この四ツ木橋北側は堀切地区の一部であった。(現在も荒川東側河川敷が堀切一丁目)
また放水路工事の為、伊勢崎線は開業(1902年・明治35年)から僅か8年で路線変更を余儀なくされ大正12年7月に現在のルートとなっている。
この水没したルート上には旧堀切駅も存在していたが、放水路工事が始まる以前の1905年(明治38年)に休止・1908年(明治41年)に廃止されている。
純粋に乗降客数が少なかった為に廃止されたものと思われるが、現ルート開通後の1924年(大正13年)に現在の堀切駅が改めて開業した。


R6-39.jpg 地図
橋中央は鋼ランガー橋。
このランガー橋を製作したのは汽車製造株式会社。
汽車製造はその名の通り本職は鉄道車両製造メーカーだが、同じぐらいに橋梁製作でも名を馳せている会社であった。
日本最古の道路トラス橋『吉野川橋』(国道32号線旧道)を制作したのもこの会社。(橋の散歩径より http://www.geocities.jp/pintruss/bridge/yoshino/yoshinooo.htm)
東京でもこの橋の他に駒形橋等を製造している。
汽車製造は1972年に川崎重工に吸収。
鉄道製造技術は現在も川重製車両に継承されているが、鋼橋製造に関しては2008年に川崎重工が撤退を決定し名橋を造り続けてきた血脈は途絶えてしまった。


R6-47.jpg 地図
橋を渡りきって振り返れば、図抜けた高さのスカイツリー。
東詰にも西詰と同様の国旗掲揚台がある。


R6-42.jpg
土手に面したコンクリの欄干が崩れかけている。
果たして2011年の震災の影響か、それとも長期に渡ってジワジワと土台が崩れてきたのか。


R6-48.jpg 地図
四ツ木橋と連続して架かる小四ツ木橋。
ほぼ四ツ木橋と一体として扱われている。
この橋の下を流れるは綾瀬川。
綾瀬川は堀切で荒川に突き当たった後に土手を挟んで平行に流れ新小岩で中川と合流する。
荒川放水路が開削されるまでは、鐘ヶ淵で隅田川と合流していた。
旧流路は綾瀬川、荒川、隅田川を結ぶ水路として残されている。
大正以前の地図を見ると、ちょうど現在の荒川放水路が流れている所に『古綾瀬川』という小河川が記載されている。
つまり隅田川に合流していた旧綾瀬川も人口河川であり、今の綾瀬川は原点回帰した位置を流れている事となる。
もっと言えば16世紀以前の綾瀬川は利根川+荒川の下流域の流路でもあり、荒川放水路も元々流れていた場所に戻ってきていることになるのだ。
徳川家康が江戸に来て以来、湿地帯と暴れ河川だらけだった関東平野を改造する為に凄まじい量の流路変更が行われている。
江戸幕府が200年かけて治水工事を行い、更に明治維新後も引き継ぎ荒川放水路、江戸川放水路を開削。
そして平成に至っても環七地下調節池の建設等、東京の治水は終わっていないのである


R6-49.jpg 地図
小四ツ木橋も渡り終え葛飾区内へ降り立つ。
新四ツ木橋の下り車線はr450からの合流側道との交差点をそのまま陸橋でパスして行く。


R6-50.jpg 地図
新四ツ木橋からの陸橋と合流してすぐ、亀有方面へ抜ける道が分岐していく。
この道は『葛西用水』と言う水路を埋め立てて造られた。
『葛西用水』は江戸初期から中期にかけて開削された水路。
埼玉県羽生市で利根川より取水、行田・加須・越谷を経由し足立区内に入り、墨田区押上で横十軒川に合流していた。
流路北部では灌漑に用いられ、南部、都心近くでは主に流通用の運河としての性格を持ち『曳舟川』と呼ばれていた。
新四ツ木橋が『曳舟川』流路の続きにあたり、橋を降りた先に道がやはり水路を暗渠化して作られた道で『曳舟通り』と呼ばれている。
また埼玉から流れてきた流路は足立区東和から暗渠化河川(ちなみに隅田川の旧流路)に合流し、小菅で綾瀬川へと流れ込む。
葛西用水流路

R6-51.jpg 地図
葛西用水跡の道との分岐より200m程で平和橋通りと交差する本田広小路交差点。
本線は陸橋でパス。
右折すれば立石、新小岩方面へ。
左折は堀切方面へ向かうが、都心側からなら先ほどの用水跡道路を経由するとショートカットできる。


続く

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