②より続き
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桜田門前より左折し、霞ヶ関の官庁街を往くR1。
ここより五反田までを通称「桜田通り」と呼ばれる。
この桜田通り、かつては五反田で分岐していく中原街道一部であった。
中原街道は東海道のサブルートであり、更に古く平安期には東海道そのものであったという説もある。
現在の都内R1も戦後にポッとで造られたルートでは無く、東海道縁のものであったのだ。
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白バイが睨みをきかす虎ノ門交差点。
一見、6車線もあって余裕の幅員に見えるが、右側3車線は右折レーンで左端の車線は左直レーン。
交差する外堀通りをかなり優先させている十字路で、R1が使えるのはたったの1・5車線。
しかも、左直レーンは高確率で左折車が詰まっていて、実質直進に使えるのは1車線だけなのである。
故に平日の日中は直進レーンに車が集中して、往々にして渋滞するネック交差点だったりする。
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虎ノ門地域を抜けていく。
典型的なビジネス街
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虎ノ門三丁目の青看板。
横浜まで31km。
これからしつこく青看板写真が出てくるがご容赦。
こう言う距離がわかるものって好きなの。
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言った先から青看板。
今の所、1kmごとに設置されている
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ちょっとした峠の様になっている飯倉交差点。
外苑東通りの起点。
坂の上には巨大な石碑のような特異なデザインのビルが建つ。
ノアビルと言う建物で白井晟一と言う著名な建築家の設計したそうだ。
テナントにはマスコミ・家具メーカーの他にフィジー大使館なんかも入っている。
大使館と言えば、右折して100mほどにはロシア大使館もある。
色々と恨みを買っているお国だったりするので大使館に面している外苑東通り・飯倉交差点〜飯倉片町の間は非常に警備が厳しい。(画像にもノアビル前に警察車両)
交差点を左折すれば東京タワーへ。
高さ日本一の座はスカイツリーに明け渡したが、東京のシンボルとしての存在感はまだまだ健在。
東日本大震災時には鉄塔上部が曲がってしまった。
大災害の傷跡の一つとしても、この先残っていくのであろう。
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『飯倉峠』を下り、三田・芝地域へ。
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r319・環状三号線と交差する赤羽橋交差点。
首都高の下に交差点名の元となったそっけない橋が架かっている。
右折すれば首都高赤羽橋入口。
更には都営大江戸線の赤羽橋駅もある。
この赤羽橋駅、入口こそ地下鉄にありがちな地味なものであるが、地下内部はイタリアンガラスを多用したやたら小洒落た駅となっている
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芝と三田の間を往くR1。
道路右側が港区三田であるが、恵比寿のちょうどガーデンプレイス辺には目黒区の三田がある。
運送業者にとって、うっかり配送先を間違えやすい同名別地区の地名。
実は明治初期までは両方とも荏原郡三田村と言う一つの地域であった。
ただし、目黒三田は元から飛び地状態で明治11年に現在の港区三田の方が芝区と麻生区に編入。
残った飛び地だった三田村も明治22年に目黒村に取り込まれ、現在の二つの三田に至るのである。
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慶應大学入口前を通り過ぎ三田2丁目交差点。
R1はここを右折。
直進はR15と交差する札の辻交差点を経由して芝浦へ至る。
東京タワーに見送られ、R1は西進する。
④へ
[3回]
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