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一之江橋に設置された高速道路用のキロポスト。
でも、歩道付きの一般国道と変わらぬ風景。
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橋を渡った先も至って住宅地を走る大通りと言った感じで、有料道路、ましてや自動車道と言った雰囲気は全くない。
しかし実は1971年(昭和46年)まではこの場所も自動車専用道だったのだ。
京葉道路開通間もない1963年(昭和38年)頃の篠崎周辺の航空写真を見てもらいたい。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=430621&isDetail=tru
広大な耕作地が広がる田園を貫く新設道路であった京葉道路。
1960年4月29日(昭和35年)に一之江~船橋が開通。
この時は一般国道バイパスであったが約一年後の1961年(昭和36年)8月15日に日本初の自動車専用道に指定された。(日本初の高速道である名神 栗東~尼崎は1963年開通)
その後、前述の通り1971年に一之江~谷河内 間が自動車専用道から解除され現在の形になるのだが、現在も「一応」有料道路扱いになっているのである。
そこらへんの絡みか、実は歩道部分は江戸川区道となっていて、NEXCO東日本管理の車道部分(縁石も含む)と別扱いになっている。
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『名目上の有料道路』が続き、高速道仕様のキロポストが0.8kmを表示する。
この区間が自動車専用道解除になった1970年代から一気に宅地化が進み、更に1986年(昭和61年)に都営新宿線篠崎駅開業により都心に直結する利便な地域として人口が急増した。
田園地帯から半世紀で全く違う町並みに変化したが、区画自体は田畑をそっくり住宅地に入れ替えただけで道筋などは昔と殆ど変わっていなかったり。
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都道307号線『柴又街道』との交差点。
そしてこの交差点上から首都高の高架も合流してくる。
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交差点を過ぎてすぐの所で上の首都高を仰ぎ見ると、緑色の標識が掲げられているのが気付く。
『ここから京葉道路』
首都高上を走っていれば一瞬で通り過ぎてしまう箇所だが、一応『京葉口』という名称がついていて首都高と京葉道路の出入り口という事になっている。
防音フェンスの形状が微妙に変化。
また下のR14も本線から側道扱いになるが、篠崎ICまでは下道との接点はない。
1971年に、ここから一之江の区間が自動車専用道解除された理由と言うのは、首都高と接続が完成したからであった。
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篠崎駅入口交差点の青看板。
左折すると100m程で駅前に。
出入り口のみの地味な駅が多い地下鉄には珍しく駅ビル併設でバスロータリーも併設されている。
直線の行き先には『千葉・船橋』と記載されているが、自専道である京葉道路を経由しての行き先。
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篠崎駅篠崎ICへ。
ここから本格的に有料道路である京葉道路がスタート。
側道の方はこの先で篠崎街道との丁字路にぶつかって終了である。
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江戸川の土手に上がって京葉道路『江戸川大橋』袂へ。
先程、本格的に有料道路区間がはじまった、と述べたが実はこの先の市川ICには料金所が無く江戸川渡るだけなら無料。
この他にも幕張IC~武石IC間と幕張→花輪の上り線が実質無料区間となっている。
京葉道路の終点は千葉市浜野町となっているが、そのまま館山自動車道とつながっており房総方面へ向かうことができる。
なお、首都高湾岸線~東関道とほぼ平行して走っているが、交差する宮野木JCTまで京葉道路の方が若干料金が安い。(現金払いの箱崎スタートで京葉経由が1400円、湾岸経由が1650円)
但し、京葉道路は上限60kmで線形あまり良くなくスピードが出せないのに対し、湾岸経由は上限80kmでキツイカーブも無くこちらの方がやや速く移動できる。
状況を見て上手く使い分けてもらいたい。
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