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浅草橋駅を過ぎての青看板。
茨城の県都、水戸まで108km。
まずは都心の出入口、言問橋2kmを目指す。
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蔵前一丁目交差点で蔵前橋通りとクロス。
すぐ傍に蔵前警察署があり、車線変更禁止線を跨いだり左折レーンを直進仕様としたりする悪い子がいないか常におまわりさんが見張っております。
この交差点過ぎて直ぐに三ノ輪方面へ向かう国際通りと分岐。
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蔵前の街を往くR6。
地名のとおり江戸期は米蔵が立ち並んでいた地域で、米を媒介にした商いで巨万の富を得た豪商が数多くいたという。
その豪商達が浅草や吉原でやはり豪遊し、彼らがとしたお金は地域を潤し隅田川西岸を更に煌びやかなものとした。
浅草圏は疑う余地もなく江戸の経済・文化の中心地であった
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厩橋交差点。
地味に都心東西を貫いている春日通りと交差。
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厩橋交差点を駒形地域へ入る。
信号向こうに見える木造建家は老舗どじょう料理店『駒形どぜう』。
創業200年、徳川幕府の時代から幾度もの大火や関東大震災、東京大空襲にも被災しながらも、その度に店舗を建て直し江戸の味を守り続ける名店である。
その浅草文化の象徴のような店と全く、対照的な物が横断歩道挟んだ向かいに立っているにお気づきだろうか?
そこは日本を代表する大企業の敷地なのである
玩具業界の巨人、バンダイの本社ビル。
ビルの前にはたまごっちやガンダムなどの自社が手がけたキャラクターの人形達が立ち並ぶ。
ただ玩具を作るだけでなく、スポンサーとなるアニメや特撮番組に企画段階から積極的に参加して商品展開しやすい作品になるよう注文つけていく、現在のキャラクター戦略の原型を作り上げた企業としても知られる。
そんなバンダイも終戦直後の創業時は、余り物布切れで造った人形を売る慎まやかな会社であった。
江戸通りの浅草橋から蔵前にかけては日本人形を扱う問屋が多く立ち並んでおり、バンダイが今もこの界隈に本社を置いているのも創業時からの縁だろう。
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駒形橋西詰交差点へ。
交差点名の通り、R6を横切る浅草通りが隅田川を駒形橋で渡る。
川向こうには浅草周辺へ来た人なら必ず目に止まる『アレ』が見えている。
アレとはうん・・・ではなく炎を模したオブジェを配したアサヒビール・スーパードライホールである。
ホールの隣にある、これまた目立つ黄金のビルがアサヒビール本社で工場跡地を利用して建てられた。
オブジェはおフランスのデザイナーによるもので「燃える熱い心」を表したものだそうだ。
でも、どうみてもう○こです。本当にありがとうございました。
さて、う○こ(しつこい)から目を離して、今度は交差点脇にある赤いお堂の方に注目してもらいたい。
これは地域名の元となった駒形堂である。
浅草寺の飛び地境内である駒形堂。
この場所は浅草寺本尊『聖観世音菩薩』示現の地として知られる。
http://www.senso-ji.jp/guide/komagata.html
隅田川より引き上げられたという本尊だが、実は埼玉県飯能市の岩井堂観音より流れ着いたという説がある。
http://homepage3.nifty.com/usiroyama/history/iwaidokannonn2.htm
現在お堂には馬頭観音が安置され、この交通量の激しい交差点の安全を見守っている。
お堂の手前を見るとツギハギの石碑が置かれているのに気づく。
『浅草観音戒殺碑』と呼ばれる碑で、浅草寺近辺を聖地としてあらゆる生き物を非殺生とする事を著している。
この石碑は昭和2年に土中から発見された物。
元禄5年(1692)の物とされ、大火等の災害に受け倒壊破損し埋められていたようだ。
昭和8年に部分修復され再び数百年ぶりに、この地に立つ事となった。
駒形橋西詰交差点の分岐左手に進むと、浅草寺表参道入口『雷門』。
『雷門』と呼ばれているが、本当は『
風雷神門』が正しい。
門の両脇に風神像・雷神像が置かれている事から名付けられたのだが、何故か風神様は省かれてしまっている・・・
先の駒形堂の所のリンク先記事で述べられているように、浅草寺の創建は西暦628年とかなり古い。
推古天皇の治世の時代との事だが、つまり聖徳太子が摂政として辣腕を振るっていた時代なのである。
当時の浅草、というか江戸は京から遠く離れた坂東の僻地でしかなかったはず。
そこに約1000年後、豊臣秀吉の半ば嫌がらせのような配置替えで来させられた徳川家康が天下を取ったお蔭で、浅草が時代を代表する文化発信地域になったと言うのだから歴史はどう動くかわからない物である。
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R6を再び前進して吾妻橋交差点。
すぐ目の前には東武伊勢崎線の起点『浅草駅』。
1931年(昭和6年)に開設された駅で、駅ビルは池上電気鉄道(現・東急池上線)五反田駅白木屋ビルに続き、東京で2番目にできた。
2012年当時、スカイツリー完成に合わせて浅草駅を開業時のデザインに復元する工事の真っ最中であった。
また地下には東京メトロ銀座線の駅もあり、こちらはさらに古い昭和2年の開業。
言わずと知れた日本最初の地下鉄開業区間であり、駅施設も所々に開業時からそのままの古めかしいコンクリ建築が見受けられる。
また都営浅草線の浅草駅もあるがこちらは先程の駒形橋西詰交差点の法にあり、実際に開業当初は『駒形駅』とされていた。
更に2005年に開通したつくばエキスプレス浅草駅は東武やメトロの駅に対し、浅草寺挟んで反対側に位置し600m以上も離れていて、同じ駅名ではあるが全く扱いの違う駅となっている。
浅草の観光めぐりと言えば人力車。
人力車の引き手のお兄さん、お姉さんは単に車を引くだけでなく観光ガイドとしての役割もあって、体力に知力も使う大変なお仕事。
浅草駅前にて起点より4km。
終点仙台まで、残り341.5km。
先は長い。
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浅草駅より猛烈な急カーブを描いて隅田川の橋へと向かう伊勢崎線。
少ない土地に無理やり造った駅の為に、いろんな部分に制限が出来てしまっている。
ホームも6両分しか使えず延長工事も不可能なので、10両編成の列車はメトロ半蔵門線乗り入れに回される。(半蔵門線乗り入れ以前は隣の旧業平橋駅、現在のスカイツリー駅止まりにされていた)
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浅草駅過ぎてしばらく、言問橋西交差点へ至る。
R6はここを右折、言問通りと合流して隅田川を渡る。
また、かつての千住街道(日光街道)は前方左側の道r464で千住大橋手前で現日光街道R4に合流する。
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右折した直後にドンと現れるスカイツリー。
高さ634mは伊達じゃない。
サムネリンクより、普段より大きめの画像をお楽しみください。
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橋を渡って言問橋東交差点。
もはや見上げないと全体が見切れてしまうスカイツリー。
右折は環状3号線の一部である三ツ目通り。
そしてR6は左折して、ついに此処より水戸街道の名を掲げる。
続く[6回]
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